パレスチナガザ自治区の歴史とハマスとイスラエル宣戦布告の行方は
この地区の歴史をさかのぼると、パレスチナは
16世紀のころには、オスマン帝国に
支配されていました。
19世紀以降、ヨーロッパで次々と国民国家が成立
しはじめると、ユダヤ人もパレスチナに入植し始めました。
第一次世界大戦でオスマン帝国が崩壊した
後、大英帝国はユダヤ人のパレスチナの創設を決議します。
第二次世界大戦後、国際連合でパレスチナ分割決議が採択され
イスラエル国家が建国されます。
それに反発したアラブ諸国との間で中東戦争が
勃発します。
1967年に起こった第三次中東戦争ではイスラエルが
2000年にはいってガザ地区 ヨルダン川西岸地区を
占領しました。パレスチナ自治地区ガザを実効支配する
イスラム原理主義組織ハマスとイスラエル
との間での戦闘激化しました。
今までに何度となく戦闘を繰り返してきました。
が、今回の奮闘は最も深刻なものかもしれません。
パレスチナガザ自治区の歴史
ガザは、古代からアフリカとアジアをつなぐ交易の
中継地として多くの人が行き交い、 アレキサンダー大王
やナポレオンも足を踏み入れた歴史的な場所です。
長くオスマントルコの支配下にありましたが、
第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領になり、
1948年には第一次中東戦争とイスラエルの建国の結果、
エジプトの管理下になりました。
この時多数のパレスチナ難民が流入し、ガザの人口
は5倍になりました。
1967年の第三次中東戦争によってイスラエルに軍事占領され、
以来、インフラや産業が破壊されたまま整備されず、
人口の多い貧しい地域になっていきました。肥沃な土地は
イスラエルの入植地として没収されたこともあり、
ガザの人々は低賃金労働者としてイスラエルに出稼ぎに
行くようになりました。 その結果、ガザで、「インティファーダ
(イスラエルへの抗議運動)」が1987年に始まったのは自然なことでした。
1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で
結ばれた「オスロ合意」に基づいて、翌年ガザ地区は、
ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。
しかし、2007年以来、ガザはイスラエルに軍事封鎖されています。
2005年、イスラエルはガザ内部から入植者と軍を撤退させ、
事実上ガザを放棄しました。 しかしその代わりに周囲を封鎖、人や物の
出入りを大きく制限しました。
2006年のパレスチナ自治政府の選挙では、それまでのPLO
(パレスチナ解放機構。オスロ合意でイスラエルとの
対話路線を選んだ「ファタハ」が中心で、民族主義的で非宗教的。)
ではなく、 「ハマス」(イスラム主義を掲げる政治グループ、
対イスラエル強硬派)が多数派となりました。
ハマスがファタハをガザから追放し、事実上ガザを
支配するようになると、イスラエルはガザの封鎖を強化し、
2008年には食料や燃料など生存に必要な物資も最低限しか
搬入されなくなりました。
ガザ地区はエジプト領となった
1949年にイスラエルとエジプトとの間で停戦協定が結ばれ、
パレスチナの約80%をイスラエルが占拠し、20%は
トランスヨルダンが支配した。ガサ地区がエジプト領となり、
パレスチナ難民が押し寄せて流入してきました。
第4次中東戦争を経た後、イスラエルとパレスチナ解放自治区(PLO)
とのオスロ協定が成立しました。
1996年にイスラム原理主義はハマスにイスラエルへ
のテロ攻撃が激化し始めます。
2006年1月のパレスチナ総選挙でハマスが第一党となり
パレスチナにハマス政権が発足すると、一方の党ファタハ
との間で武装衝突が激化するなど混迷を深めています。
アルファト議長の死後、PLOの後継者となったアッパース議長と
ハマスの代表ハニーヤ首相との間で国境線の合意、
これにイスラエルが反発しました。ハマス政権をテロ組織として、
政権とみとめていない、イスラエルはガザ地区への介入を強めてきます。
ハマスがイスラエルの主要都市を狙ったロケット弾を発射し、
一方でイスラエルは150箇所に及ぶ施設を攻撃、
深刻さを増しています。
参照:
https://ccp-ngo.jp/palestine/gaza-information/
米国大使館のエルサレム移転の影響は
イスラエルは第一次中東戦争を経て西エルサレム
を支配下におき、1967年の第三次中東戦争後に東エルサレム
も占拠しました。
一方でパレスチナ人は将来樹立を目指す国家で首都を
東エルサレムにしたいとずっと思案していた。
ガザ地区は、現在イスラム原理主義ハマスが実行支配
しているが、イスラエルはこれをテロ活動だと避難し
混乱が続いています。
イスラエルは、エルサレムを巡り、ハマスとの対立
そして、シリア国内でイランとの戦闘と、イスラエルと
アメリカが混乱の火種とかしています。
もしイランが今回のアメリカの核合意破棄により
核開発を再開すれば、アメリカを巻き込んだ中東戦争に
発展するかのうせいも否めないとおもいます。
まとめ
ハマスがガザ地区からイスラエルを攻撃し、
戦争状態に陥っている状況ですが、
その背景を理解するために、パレスチナガザ自治区の
歴史的背景を調べてみました。
敵対関係にあった、イスラエルとサウジアラビア
協定を模索していいた中での今回の戦争状態
に陥っているだけに、事態がより複雑化することが
懸念されます。また、ハマスはスンニ派、一方敵対関係にある
イランはシーア派という宗教的には相反している一方で、
対イスラエルでは敵対関係を構築しているこの状況は
戦争が拡大エスカレートしていくのではないか、懸念される
ところです。
ネタニヤフ首相のイスラエルとイランが今最も緊迫した状態で市場への影響は?